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櫻井 啓一郎さんの発達障害に関するツイートがすごい

はじめに

櫻井 啓一郎さんのツイートで非常にバズっているツイートがあり、

僕も深く共感しました。

ただ、Twitterなので、何十にも分割されてしまっているので、

皆さんがより読みやすくなるように

いっそのことブログに僕がまとめちゃおう!

ってことでまとめました。皆様に読んで頂けると幸いです。

さっそく参りましょう!

櫻井 啓一郎さんの当該ツイート

小学校で「発達障害じゃないか」と噂されてる子が

実は優秀で退屈してるだけだった、って話を投下しておきます。

子供が通う40人学級で、授業中に騒ぐ、立ち歩く、

他の子にちょっかいを出す、という子が3人も。

発達障害じゃないかとまで噂。

学級崩壊寸前だというので、見に行った。

確かに担任+副担任がフォローしても、聞いたとおりの酷い状況。

授業妨害だけでなく、机にクレヨンで落書きしたりゴミだらけだったり。

静かにしてても授業は無視、好きな本を読んだり。ところが…

どうも見ていて、発達障害には見えない。

試しに話しかけてみると、

今授業でやってる問題なんか速攻で解いてしまう。

しかも3人が3人とも。

実はこれは、ある程度予期していた。

子供の教科書を見ると、

なんと自習できないようになっている。

教科書を勝手に読んで問題を解いて先に進む、

ということが出来ない。

意地でも全員のペースを合わせるようになっている。

つまり塾や通信教育等で先に進んでいる子にとって、

学校の授業は退屈すぎる。

それなのに出席を強要され、静かに聞いていろと言われる。

そりゃ暴れたくもなる…と同情してしまった。

これ、誰も幸せにならないシステムだ。

しかもこの授業、全員がついてこれるペース、

つまり最も学ぶのが遅い子に合わせるようなペースになっている。

つまり得意科目を先にどんどん進める可能性を、わざわざ潰している。

そのために余計な人手まで割いている状態。 無駄だ。ものすごい無駄。

国力を削ぐことこの上ない。

自分、40年以上前に米国の普通の小学校に2年通った。

当然英語の授業が分からない訳だけど、

その代わりに算数をどんどん先に自習させてくれた。

ドリルを進めるのが面白くて1,2学年先まで進めたのを未だに覚えている。

何故未だに日本で出来ない?というか悪化してないか。

40年前の日本の小学校でも、教科書を勝手に読んで先に進むことは出来た。

それなのに今の教科書はそれすらさせないようになっていて、心底呆れた。

それは公平でも何でも無い。もはや虐待のレベル。

でなきゃ、拷問。公平の名を借りた拷問。

人手の使い方が根本的に間違っている。

全員のペースを揃えることに腐心しすぎ、

というかそれ、教わる側にとって何の価値もない。

同じ品質のものをただ安く造れば良い時代じゃない。

多様で突出した人材が欲しい時代のはず。

人それぞれの得意科目を伸ばすように

教育システムに変えなければいけないはずなのに、

未だに昭和の考え方のまま。

電子化に期待するのはそこなんだけどな。

一人一人が端末を見ながら、

自分の好きなペースで進めるようにしたら良い。

質の高い動画やアプリを各校共通で使えるようにして。

先生方はそのサポートに回ればいい。

単に従来の教科書をPDF化しただけじゃ、

他国に遅れを取ると思う。

再度断っておきますが 発達障害に見えませんでした。

コミュニケーション能力含めて。

英語のレッスンと称して、

ABCの歌を長時間、強制的に聴かされたら、

逃げ出したり、抗議したくなりませんか。

そんなことを弱い立場で長期間つづけられても、

正気を保てる自信はありますか。

そんな状況から目を逸らし、貴方が悪いとなじられたら?

抜け出すところに小声で声をかけてみると、

おとなしく戻る。

机の周りをそっと掃除してみると、

寂しいような悲しいような表情で静かに手伝う。

好きな本と言っても、教室備え付けの中で。

騒ぐと言っても、授業内容に反応して。

もう知ってるんです。

一緒に遊んでみても、良く気がつき、優しい振る舞いができたりする。

両親が専門家に診せても、障害を否定されていたりする。

(ちょっと授業で見た、だけでは無いですよ。念のため)

それでも周りに合わせろと言うなら、

低いほうでなく、高い方に合わせるほうが、社会全体では得になる。

まして、個々人に合わせるのを否定するのは非合理的。

授業で問題をみんなが解いているとき、

「分かる?」とそっと聞いてみると、

小声で「うん」と応えてすぐ解いて見せてくれる。

別問を出してみても解く。 少し先の内容の話をすると、

目を輝かせて食いついてくる。

悪いことした、とこちらは泣きそうになった。

これがもし全国規模で起きているのなら、

勿体ないことだと思う。

当人達やご両親や先生方と向き合ったこともなく、

専門機関の診断結果でも否定されているのに

なおも「障害だ」と決めつけてくる心理は、

どういうものなんだろう。

「自分の時はこうだったから」というのは、

つまり自分が受けた教育を否定されるのが怖いから、

なのかも知れないけど。

でも授業内容同様、教育システムそのものだって、

進歩するものではないですか。

私も最初見に行ったときは、叱る人手が足りてないのか、

その手助けをした方がいいのだろうか。

悪いことだと教える人手が足りないのだろうか、

と思って見に行ったんですよね。違ったんですよね…。

そして、人手を増やせば押さえ込める問題だったとしても。

「人手を余計にかけてまで、伸びる芽を潰している状態」

には、変わりないんですよ。

繰り返しますが、少なくとも一部の子については、

医師の診断結果もお伺いした上での話ですよ…。

お金払って私立校へ行け、というのも、根本的な解決法では無いですね。

それは「階級」を固定し、社会の格差を拡げようという考え方です。

結局は社会全体の活力を下げかねません。

詳細を明かす必要は無いですね とにかく障害は無い、

それだけで十分な情報かと。

全員同じこそが善、と考えるあまりに、

教科書の内容まで自習できないものにしてるせいで、

本来自習できれば満足するような子供達にすら苦痛を与え、

一部の子らが時々我慢しきれなくなってしまう、という状態かと。

昔のシステムより進歩するどころか、さらに改悪しちゃってるかと。

全員同じで有ることばかりに拘り、

全体の学力を下げる不利益を無視するのであれば、

そんな国こそ、世界について行くのが難しくなるでしょうね。

他国では先の学年の内容の自習も許したり、

小学校でも留年・飛び級があったり、

ギフテッド用のコースを設けたり、

色々工夫しているようですよ…。

日本でも工夫されている例はあるようです。

時代の変化に合わせて、そんな工夫が拡がることを願います。

なお、ADHDを定義する要件がどうこうという話はしてませんので念のため。

それは話が脱線してます。

極端なこと言えば、例えADHDであっても同じ教室で教え、

かつその子の伸びやすい所を伸ばしてあげられれば、

その方が良いでしょう。そういう話です。

うちの子は3人には含まれてません。念のため。

容認するなら、そもそも授業を見に行ったりしませんよ。

「道徳心がない」「悪い子」なら、

あんな悲しい表情で静かに片付けを手伝ったりはしませんね。

周りに合わせる能力も大事ですが、そのために全体の学力を下げる、

出来る子に苦痛を与えるというなら、何か間違っていませんか。

あんま具体的に書きたくないけど…

例えば大人でも、鬱病になりますよね。

その対処法は、当人を責めることですか。

それとも発生しにくいように、環境を改善することですか。

個別家庭でどうしたらいいか、ですけど、

とりあえず我が家はやり方を全部書いてある(=自習できる)ドリル本を買いましたわ…。

ただそれでも、これを学校に持ち込むのはNGなんですよね

(そしてそれ以前に、ランドセル重すぎ)。

ただ、もうその子らを見てるだけでつらい、というようなケースだと、

逃げ場がなかったりするかも。

「発達障害じゃないかという噂」は、

保護者レベルでのいい加減な話、を意味します。

始まりはあやふやな「噂」からでした。

学校がそう決めつけたという話ではないので、念のため。

学校はむしろ色々と対応を頑張りすぎて、心配なレベルでした

(保護者側で少しでも助けられないか、と見に行った)。

私が続けて書いてしまって悪かったんですけど、

勉強できない等の知的障害と、発達障害は異なるので、念のため。

そう噂されることになった原因を探った、という話です。

おわりに

櫻井さんのTwitterはこちらです。

https://twitter.com/kei_sakurai?s=20&t=8g2tPE3oeB-LjCAvuuD_JQ

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